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2026 年 1 月 29 日

人との別れは「さようなら」ではない ― 年の始めに思ったこと

 今年の年賀状については数年前よりも送り受ける枚数が少なくなった。多い時期には250枚ほどを出していたが、今年はその半数の120~130枚。先方から来たのは100枚以下だった。

 インターネットの普及とともに、年賀状仕舞いをする人が増えたことが数年来話題になっていた。私も一昨年には「年賀状は今年で最後にします」と何人かの人に書き添えた。それは学生時代にお付き合いのあった方や20歳代に知り合った方で、30~40年もの間、年賀状だけのやり取りでお目にかかることがなかった方である。それだけの年月お目にかかることもなく、今さら是非にお会いしましょうという気にもならず、お許しを願いたい。

 一方でそれほど頻繁ではないが、この十数年で何度かお目にかかっている方からも「今年で最後に」「この先はメールで」などと書いた年賀状が何通か届いた。年に1回の年賀状であっても、それが届いてくれば“久しぶりに電話でもしてみようか”“たまには会ってみようか”と思うかもしれないが、それがなくなるとそうも思わなくなるような気がするのは私の薄情さだろうか。会いたい人がいれば、年賀状のやり取りに関係なく人間関係を持ち続けたいと努力するはずだからである。メールも普段から頻繁にやり取りしているのなら「今年もよろしく」と送れるが、年始だけとなるとそれもしないだろう。

 私は、人生でお世話になった方、親しい友人には、たとえ相手方からの返事がなくても、年賀状仕舞いの意思表示があっても、年賀状を送っている。そもそも挨拶は見返りを求める行為ではないからである。私としては人生の師や親しみを感じる方には“せめて年賀状くらいは”のつもりである。先方は“止めると言ったのに送って来やがって”と多少の不満を覚えるかもしれないから来年からは「年賀状仕舞いをされた方にも、近況報告のつもりで送ります。ご笑納ください」くらいのことを書こうかと思う。

 年賀状が転居先不明で戻ることがある。人間関係を維持したければ転居先くらい教えてくれてもいいじゃないか、なぜ郵便局に転送依頼をしてくれなかったのかと残念にも思う。こちらとしては心残りだが、こういう方とはそれきりということになってしまう。
 私が人生の師と仰ぐ人は、その多くは私より年齢が高いわけだから当然に高齢。その方々に年賀状が届かないことがあった。高校生時代の恩師であるT先生がそうだった。各方面に消息を聞いたが分からなかった。中学生時代に好きだった先生は、息子さんから父が去年亡くなったとはがきが来た。小学生時代に好きだった先生には年賀状は届いているようだが、数年来電話にも出られず返信もない。
 「さようなら」と言うこともできずに連絡が途絶える。これが人との別れの現実か。人生の寂しさを思う年始である。

代表

関根健夫( 昭和30年生 )